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夏の夜の夢 予習ノート③(物語の構造と要素について)

推しがシェイクスピア作品に出るとの情報解禁にひっくり返ったオタクの予習ノート③です。①②はこちらから↓

夏の夜の夢 予習ノート①(シェイクスピアと夏の夜の夢 概要) - ショータイム

夏の夜の夢 予習ノート②(シェイクスピア作品について) - ショータイム

 

この記事の最後に読んだものをまとめています。①ではそれぞれについて簡単に紹介しています。

 

「頭に入れておいたら舞台がより楽しめそう!」と私が思ったことを書いた初心者のチラ裏メモです。私はにわかのド素人ですので、正確な情報・詳細な内容については専門家の書いた本にお願いしますね!

 

目次

 

物語の層構造について

・夏の夜の夢はニ軸の層構造を持ち、[5]ではこれが夢の構造と一致することが指摘されている。二軸はいずれも意識-無意識の軸である。

(1)ひとつは登場人物の層に沿った軸である。宮廷世界(テーセウスとヒポリュテ)が意識の表層に近く、次いで若者たち、職人と続き、最後に妖精の世界は意識の最も深いところにある無意識の世界である。意識の世界にいる人間たちは無意識の世界にいる妖精の存在を認識できない。

→若者たちは妖精パックとオーベロンのせいでてんやわんやするが、それが妖精の仕業とは認識できない。また、ロバ頭を被せられたボトムだけは妖精の世界に入っていくが、ロバ頭を外された後には妖精の世界にいたことを「ハチャメチャで前代未聞でbottom(底、根拠)なしのとんでもない夢」と言い、現実に起きたこととは思っていない。

→最も意識の表層に近いテーセウスとヒポリュテは夜の森に行くことはないし、妖精と直接関わり合いになることもない。中間にいる若者たちは妖精たちの棲家である夜の森に入っていき、妖精の存在を認識できないまま妖精(無意識)のせいで混乱に陥る。このとき、媚薬のせいでヘレナに惚れてしまったライサンダーは「男の気持ちは理性の支配を受ける、そして理性は君の方がいい女だと告げる」と言っている。このように、若者たちは自分の意思で動いていると思っているが、実は妖精たちの手で動かされている。(ただし妖精たちも全て自分たちの思い通りにできているわけではなく、パックはディミートリアスライサンダーを間違えるし、パックはライサンダーにハーミアを見せたかったのにライサンダーは迷い込んできたヘレナを見てしまった。)職人たちも夜の森に入り、基本的には妖精たちの存在を認識できないが、その中でボトムは妖精の世界に入っていってしまう(朝には全て夢だと思っている)。

(2)もうひとつは物語展開に沿った軸である。物語は宮廷世界で始まり、これは覚醒した意識の世界である。夜になると物語の舞台は無意識の世界である森の中に移動し、その後宮廷世界(意識の世界)へ戻るという、時間経過による場面変化で意識と無意識の層構造が作られている。

・夏の夜の夢はメタシアターである。貴族たちが職人たちの劇(劇中劇)を見ており、その外側から貴族の若者たちのゴタゴタを妖精たちが見て、それらを観客が見る、入れ子型の層構造がある。更に世界劇場の概念を考慮すれば、観客も(人生という)芝居をしているところを何者か(神とか天使とか妖精とか)に見られていることになり、観客とその外側も含めた、芝居の枠を超えた層構造が存在することになる[7]

→ この入れ子構造を考えると、パックの台詞「ばかげた芝居を見てみましょう、人間ってほんとばかですね!」はゴタゴタしている若者たちだけではなく、暗に芝居の外の人間(観客)にも向けられた言葉になる。(若者たちは職人たちの劇を見て、妖精たちに見られる存在であり、これは観客と立場が一致する。)この「人間ってほんとばか」は新プラトン主義的な意味の「ばか」である。この「人間」は原文では「mortals」であり、「死すべきもの、人間」という意味を持つ。パックは道化役(エリザベス朝あたりのイギリスに実在した、君主の愚かさを指摘する役目を持った人たち[1])であり、この場面でパックは登場人物および観客の(全ての人間が持つ)愚かさを指摘している。

 

物語の対構造について

夏の夜の夢には対となる構造が随所にあり、対の一方は宮廷世界や若者たち(意識の世界)、他方は妖精の世界(無意識の世界)にある。

・宮廷世界(意識の世界)のテーセウスとヒポリュテ、妖精の世界(無意識の世界)のオーベロンとティターニアは明らかに対の構造となっている。宮廷世界のテーセウスは妖精の世界のオーベロン、宮廷世界のヒポリュテは妖精の世界のティターニアに相当する。この二組はそれぞれ夫婦(および婚礼直前のカップル)であり、当然二人の関係性も一致している。また、オーベロンはヒポリュテ、ティターニアはテーセウスがお気に入りで、交差する形でも対構造がある[5]

※テーセウスとオーベロン、ヒポリュテとティターニアはそれぞれ一人二役で演じられることが多く、[5]では(話の構造から考えると)この二組は同一人物と考えてよいと言及されている。この一人二役の演出は、現代においては1970年に演出家ピーター・ブルックが始めたのをきっかけとして、後のほとんどの公演で採用されるようになった[5,10]

・[5]では夏の夜の夢が「女が嫌だと言ったことに対して男が何かすることで話が始まっている」と指摘されている。宮廷世界ではハーミアがディミートリアスとの結婚が嫌だと言ったことで、イジーアスやテーセウス、ライサンダーがそれぞれ行動を起こすところから話が始まる。一方妖精の世界では、ティターニアがインドの男の子をオーベロンに渡すことを拒否し、それに対してオーベロンが仕返しするところから話が始まっている。

・職人たちの芝居は「ピュモラスとティスベ」で、これはロミオとジュリエットと同じく、すれ違いと勘違いで2人が死ぬという悲劇である。一方、ライサンダーの近くで寝たはずのハーミアは、目覚めたらライサンダーがいなかったために、出会したディミートリアスに「あなたライサンダーを殺したんじゃないわよね!?」と疑いをかけていたり、ディミートリアスライサンダーが決闘しようとしたりしている。夏の夜の夢では実際に殺人や自害は起きないが、一歩間違えば職人たちの芝居と似たようなことが起きないとも限らない状況には陥っている。

(他にも対構造と言えば対構造か?みたいな箇所が結構ありそう)

 

森について

シェイクスピア喜劇において、アイデンティティを失う段階(攪乱過程)では登場人物が非日常の世界へ出向くことが多い[1]。夏の夜の夢ではそれが森であり、登場人物たちは森の中でアイデンティティを失ったり取り違えたりして大混乱に陥る。

・森は無意識の世界のメタファーである。これは夏の夜の夢に限った話ではなく、グリム童話など様々な物語に「無意識」「未知の領域」「非日常」といった概念として登場する[5,11]。夏の夜の夢の「森」には、森自体が無意識を象徴していることに加えて、人間には存在を認識できない(=無意識の世界の住人の)妖精たちが跋扈しており、「夜(昼よりも更に森の中が未知の世界になる)」で、極めつけに「狂気」を呼ぶ月の光(後述)が差し込んでいるという要素が揃っており、喜劇の撹乱過程には最適な舞台である。

・[5]で松岡和子さんが指摘されているように、シェイクスピアの知る「森」はイギリスの森である。日本の森は山であることが多いが、イギリスの森はおよそ平面的である。平面的な森は起伏のある森に比べて、奥がどうなっているのかがより不透明であり、どこに向かえば出られるのかがわかりづらく、より無意識の世界に近い。

 

月について

・かつてのヨーロッパ文化圏では月は狂気を引き起こすものであるとされ、狂気(lunatic)の語源にもなっている(月はラテン語でルナ)[5,8,12]。これは月の満ち欠けが頼りなく妖しいものとして捉えられたからであろうと言われている。また、太陽が意識的な世界、理性の象徴であるとされるのに対して、月は無意識の世界、狂気の象徴であるという概念がある[5]。特に、夏至前夜の月はミッドサマー・ムーンと呼ばれ、狂気を引き起こしやすい光を放つとされたらしい[8]

・夏の夜の夢の「夏の夜」は破天荒でハチャメチャな夜という意味であり、題名の通り人間が(無自覚に)狂っている様を描く夏の夜の夢において、月は狂気の象徴として劇全体を支配している。実際、全編を通して登場人物の台詞の端々に月に関するフレーズが差し込まれている。

(1)ハーミアが父に逆らい、選択肢として示されたひとつが「処女のまま尼となり月に祈り続ける」であるが、ここで仕える神がローマ神話の月の女神(処女神)ダイアナである[8]。ダイアナはギリシャ神話ではアルテミスにあたり、処女性と純潔の象徴である。

(2)ライサンダーがヘレナに駆け落ちの計画を打ち明ける際、台詞に「月の女神フィービーが…」と入るが、フィービーはダイアナの別名である。

(3)妖精の女王ティターニアの名前は、帝政ローマ時代の詩人オウィディウスがダイアナの別名として用いている。

(4)一夜が明け、テーセウスが五月祭の行事のひとつとして森へ狩りへやってくるが、月の女神ダイアナは狩猟の女神(アルテミス)でもある。

(5)職人たちの劇は月の光のもとで男女が悲劇に見舞われるという話であり、職人たちは当日に月が出るかどうか執拗に確認する。また、劇中には月に住む男(ただし月を手に持っている)というトチ狂った役が登場する。

(6)職人たちの芝居が終わり、貴族たちが寝室に消えた後、宮殿にやってきたパックの台詞に「And we fairies, that do run By the triple Hecate's team」とあるが、このHecateは冥界や月の女神である。

 

夢について

・森での混乱が明けて目覚めたボトムは、ロバ頭をつけられて妖精の世界にいた間のことを「奇妙な夢を見た、人間が説明できるような夢じゃない、目が聞いたこともない、耳が見たこともない、手が味わったこともない、舌が考えたこともない、心臓が喋ったこともない、前代未聞のbottom(底、根拠)なしのとんでもない夢」と言う。創作物に出てくる夢は筋の通った夢であることも多いが、実際人間が寝ている間に見る夢(夢に限らず現実世界も)はこれと同様に奇妙でハチャメチャで、よくわからないものが出てくるしよくわからないことが起きるし辻褄は合っていることの方が珍しい[5]

・森にいる間に人間が経験した出来事はおよそ妖精たちの仕業で、人間に認識できないもの(=無意識)が引き起こしたという点で、登場人物が見た夢であると言える。先述の通り、「夏の夜の夢」の「夏の夜」は人々がハチャメチャに羽目を外す破天荒な夏至前夜であり、「夏の夜の夢」はそういったハチャメチャな夢を描いた喜劇である。さらに、パックの口上には「もしこの物語が気に入らなかったら、皆様(観客)がここでご覧になったのは夢だと思ってください」という趣旨の台詞があり、すなわちこの芝居自体が観客の見た(ハチャメチャな)夢として位置づけられている。

※また、妖精たちも全て自分の意図通りに動けているわけではなく、パックは人を間違えるし、ティターニアはオーベロンの手によってロバ頭のボトムに惚れさせられてしまっている(ティターニアも媚薬によってハチャメチャな夢を見させられている)。

 

原題と物語の季節について

・夏の夜の夢の原題は「A Midsummer Night's Dream」で、直訳すれば「夏至祭前夜の夢」である。夏至祭はキリスト教の聖ヨハネ祭のことで、6/24に祝われる。「真夏の夜の夢」と訳されることもあるが、6/24付近のイギリスは真夏とは言えない程度の暑さなので、単に「夏の夜の夢」と訳されることもある[3,7,8]

夏至祭前夜には焚き火を囲んで酒を飲んだり踊り狂ったりなど、羽目を外して大騒ぎをする風習があったらしく[3,6,7,8]、おそらく夏の夜の夢というタイトルはこういった「ハチャメチャでしっちゃかめっちゃかで破天荒な夜に見る夢」を表したものである。また、夏至祭前夜は精霊が跋扈する夜であり、この夜集めた薬草には不思議な効能があると言い伝えられている[3,7,8]

・ただしこの話が夏至祭前夜に起きたものかと言うとそうではない。夜が明けて森へ狩りにやってきたテーセウスの「五月祭の儀式が済んだ」という台詞と、寝ている若者たちを見つけて言う「五月祭を祝うために早起きしたのだろう」という台詞から、この話は五月祭前後(4/30~5/1あたり)の話であることが明らかである。

・五月祭前後の時期の話を「夏の夜の夢」と呼ぶことについては様々な解釈の仕方がある。[7,8]では、「この話は五月祭でもあり夏至祭でもある、お祝い気分いっぱいの陽気で破天荒な話」、あるいは「人間の世界では五月祭だが、それと表裏一体である妖精の世界では夏至祭が祝われている/妖精の世界はいつでも夏至祭である(実際、ティターニアはオーベロンと「この夏の初め以来」ずっと喧嘩をしていると言ったり、自身を『いつでも夏がかしずいている』妖精であると言ったりしている)」といった解釈の方向が示されている。

 

登場人物の名前について

・テーセウスはギリシャ神話に出てくる英雄の名前であり、夏の夜の夢のテーセウスは神話のテーセウス本人として描かれている。夏の夜の夢の舞台設定はギリシャアテネであり、夏の夜の夢のテーセウスは神話と同様にアテネの支配者である(ただしギリシャ神話ではテーセウスはアテネ王だが、夏の夜の夢では公爵に変更されている)。また、ギリシャ神話にはアテネ王となったテーセウスがアマゾンに侵攻し、アマゾンの女王と結婚する話がある[13](ヒポリュテという名前はチョーサーの「カンタベリー物語」でアマゾン女王の名前として出てくる[7,8])。

・オーベロンとティターニアの言い合いの中で、オーベロンはティターニアに対して「お前テーセウスを惑わせてペリグーネーを捨てさせたりイーグリーズとの誓いを破らせたりアリアドネーとかアンティオペーとの仲を裂いただろ」と罵るが、ここで出てくる名前の女性はテーセウスと関係のある女性で、プルタルコス「英雄伝」にも登場する[7,8,13,14]

・余興を選ぶ際、テーセウスは「ケンタウロスとの戦い」という候補を見て「私のいとこのヘラクレスを讃える物語だ」と言うが、プルタルコス「英雄伝」によれば、ヘラクレスはテーセウスのいとこである[7]

・妖精パックは劇中で「ゴブリン」「ロビン」とも呼ばれ、パック自身も自分のことを「パック」「ロビン」「ゴブリン」と言う。パックは固有名詞ではなく、「いたずら妖精」という意味の一般名詞であり、ロビン・グッドフェローという妖精(小鬼)のことである[7,8]現代日本においてのイメージで言えば、妖精というよりは妖怪に近く、人々にいたずらをしたり、夜に家事をしてくれたりする。貴族たちが寝室へ消えた後にやってくるパックは、おいら箒を持って先触れで来たよ~みたいなことを言うが、パックの仕事のひとつは箒で床を掃くことである。

・職人たちの劇「ピュモラスとティスベ」はロミオとジュリエットと似た構造の芝居だが、このもととなった話はオウィディウス「変身譚」などに登場している[8]

 

その他覚書

・主にテーセウスのセリフの中で、明らかに当時の治世者エリザベス一世の存在を意識したであろう箇所が複数ある。オーベロンの言う「西の国の美しい処女王」は、生涯独身であったエリザベス一世のことであると言われている(物語の舞台はアテネであるのでイギリスは西の国)[7,8]

・オーベロンが使う媚薬は花の汁だが、この花は原文で「love-in-idleness」であり、これは三色菫(パンジー)の原種のことである。idlenessは「だらだらしている」という意味。

・ボトムが「何色のひげをつけよう、麦藁色か、ミカン色か、真っ赤か、フランス金貨の真っ黄色か」と言うのに対して、クウィンスは「フランス病になったら髪が抜けるから髭なしでやったらどうだ」と返す。このフランス病とは梅毒のことである。

・第一幕冒頭で、テーセウスは「結婚式まであと四日だ」と言うが、その次の日の夜にライサンダーとハーミアがかけおちし、その夜が明けるころにオーベロンが「明日はテーセウス公爵の婚礼だ」と言うので、本当は四日も経っていない。

 

映画版 夏の夜の夢

夏の夜の夢は何本か映画も出ていますが、そのうち2本がU-NEXTにあったので観ました。

(1) 1999年公開、アメリカで制作されたもの。監督はマイケル・ホフマン。全体的にビジュアルや演出がロマンチック。貴族たちのいでたちがいかにも西洋の上流階級という感じ(私のイメージ的に)。ディミートリアスとヘレナは森の中を自転車で追いかけっこする。この映画内での時代設定は「新発明の自転車が大流行している」くらい。妖精たちの陽気さや神出鬼没さがよく演出されている。物語展開や台詞の内容は今現在テキストになっている夏の夜の夢とだいたい同じ。

(2) 2016年公開、シェイクスピア没後400年記念作品としてイギリスで制作されたもの。人間側も妖精側も人種が入り混じっている。現代のファンタジー映画感強め。若者たちが軍人の家系っぽいし、おそらく軍人が中心的な存在の国家が舞台だと思う。壁に埋め込まれたタッチパネルとかが出てくる。妖精たちが異様に好戦的で戦闘能力が高く、オーベロンがいきなり雷を落としたりする。テーセウスとヒポリュテがぜんぜんイチャイチャしない。今現在テキストになっている夏の夜の夢とは物語展開や台詞の内容が結構違う(だいたいの流れは同じ)。

[5,8,10]では松岡和子さんが現代における夏の夜の夢の演出に触れられていますが、U-NEXTにある映画2本だけでもこれだけ違うし、上演された舞台の演出も本当に様々なようなので、つまり何でもアリな作品なんだなと思いました。

 

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以上、私が初見(初読)で「?」になったところを中心に予習しまとめました。もっと書くべき内容とか意味が違ってしまっている表現とかちょっと違うんだよなみたいなこととか、正直たくさんあると思うんですが、これ以上詰めると年単位の勉強が必要になりそうなので一旦これで終わりにします(ちょこちょこ加筆修正するかも)。お読みの皆様におかれましては、ブログ内容は薄目で話半分に読んでいただくようにお願いします。もし「ここは違うぞ」とかのご指摘があれば送っていただければ幸いです。

 

読んだもの

(①にリンクと簡単な紹介をのせています)

[1] 中公新書 シェイクスピア 河合祥一郎 著(2016)

[2] 三省堂 シェイクスピア・ハンドブック 河合祥一郎小林章夫 著(2010)

[3] 祥伝社新書 あらすじで読むシェイクスピア全作品 河合祥一郎 著(2013)

[4] 三省堂 シェイクスピア大図鑑 スタンリー・ウェルズほか 著 河合祥一郎 監訳(2016)

[5] 新潮文庫 決定版 快読シェイクスピア 河合隼雄 著、松岡和子 著(2018)

[6] 白水社 夏の夜の夢 ウィリアム・シェイクスピア 著 小田島雄志 訳(1983)

[7] 角川文庫 新訳 夏の夜の夢 シェイクスピア 著 河合祥一郎 訳(2013)

[8] ちくま文庫 シェイクスピア全集 4 夏の夜の夢・間違いの喜劇 シェイクスピア 著 松岡和子 訳(1997) 

[9] 白水社 ハムレットは太っていた! 河合祥一郎 著(2001)

[10] ちくま文庫 すべての季節のシェイクスピア 松岡和子 著(2022)

[11] 駿河台大学論叢 = Surugadai University studies / 『駿河台大学論叢』編集委員会 編 『グリム童話』にみる個性化--「白雪姫」と「ふたりの旅人」 太田隆士(2008)

[12] 研究社 新和英中辞典 第7版(2003)

[13] 角川文庫 完訳 ギリシアローマ神話 上 トマス・ブルフィンチ 著 大久保博 訳(2004)

[14] 新潮文庫 ギリシア神話を知っていますか 阿刀田高1984