ショータイム

狂喜乱舞するブログ

夏の夜の夢と三番叟

情報解禁から1年、千秋楽から半年以上経ちましたが、急に「記録しといた方がいいのでは?」と思い立ちました。ざっくりメモです。何か思い出したら追記します。

 

概要

www.shochiku.co.jp

 

演出:井上尊晶、訳:河合祥一郎、音楽:松任谷正隆のスタッフ陣で中村芝翫シェイクスピア作品の主演を務めるプロジェクト(?)の第二段(第一弾は2018年のオセロー)。日生劇場で2022年9月に上演。

 

舞台の様子が垣間見えるネット記事↓

natalie.mu

 

セット

・ステージ上に石段が作られている。ステージ前方に芝を敷いた空間があり、その空間を取り囲むように石段が積み上がっている。センターは駆け上がれる・駆け降りられるくらいの小さな段差の階段になっていて、その頂上に鳥居が立っている。石段にはかなり太い樹(針葉樹?)が複数生えていて、舞台端から生えた樹(多分桜)には花が咲いている。山の斜面に生えた樹を避けて石段を作り、すり鉢状になった石段の底に芝が敷いてあるような構図。石段にはたくさん座布団が敷いてある(幕間に一部を残して撤去される)。

・転換はなし。幕も一切使わない。開演前に会場に入ると剥き出しのステージに迎えられ、帰るときも剥き出しのステージが見送ってくれる。幕間にも幕は降りない。舞台上の装置をいじると言えば「ステージの小上がり的なステージ(簡単にバラせる)を撤去する」「座布団を段上から下へ放り投げる(幕間で撤去)」「小上がりを出す」のみ。ステージ上に組まれた小さな舞台は第一幕の間にバラされ、第五幕で再び組まれる。枠は木製で面は透明(たぶんアクリル)。第一幕の職人たちの場面で「足場のバラし」のようなバラし方をされる(よーーしバラすぞーーーーという掛け声がかかる)。第五幕では結婚式の出し物を見ようとテーセウスが演目を選んでいる間に再びステージ上に組み立てられる。

 

配役

・女王と王以外の妖精は全員子供が演じている。パックも10歳前後の男の子で、フィロストレートと一人二役で演じる。パックは鼻筋に白い線を入れる化粧をしているが、フィロストレートを演じる際にも化粧はそのままになっている。

・森の中のシーンではほぼ全て舞台上に黒子(の姿をした人物数人)が控えている。妖精たちを持ち上げて舞わせたり、石段に座っていて舞台上の出来事に反応したりする。亡霊という役名がついている。オーベロンに睨まれると怯えて隠れたり、イチャつくハーミアとライサンダーの野次馬になったりしていた。

 

衣装

・いろいろな文化や時代がごちゃまぜになっている。日本の民族衣装であろうことはわかるが具体的にどれと言われると困る服・原型は韓国中国あたりの民族衣装であろう服・レスラー・アイヌ民族の紋様を使った服・とりあえず現代のものではない大工の服等々。妖精の衣装は白という点だけ統一されている。妖精の子供たち(パック以外)は頬が赤く塗られていた。

 

構成

劇中劇の形式がとられている(夏の夜の夢には劇中劇があるので、その部分は劇中劇中劇になる)。原本部分(シェイクスピアが書いた台本およびその訳本)の前後に台詞や大きな展開はない。

原本部分前

ブザーもなく客電もまだ明るいところに唐突に太鼓の音が鳴り、鳥居の向こうに子供が現れる。太鼓の音に合わせて子供が階段を降りてくるうちに客電が徐々に暗くなってくる。舞台上の小上がりに到着すると三番叟が始まる(途中で演出が変更になった。三番叟の途中で客電が徐々に暗くなる回もあった)。三番叟が終わると演者が石段の上から出てきて、ぞろぞろと下に降りて一列に並び礼をし、各々の場所につく。このとき演者は蓑と傘を背負っている。ここで小上がりに上がるのは2人(テーセウス役とヒポリュテ役)で、テーセウス役が杖で小上がりを打ち、蓑を脱ぎ捨てたところから台詞部分が始まる。その後、演者は出番が来ると1人ずつ蓑を脱ぎ捨ててその場に立つ形で登場する。

原本部分後

パックの口上の途中で、それ以前にはけていた演者が全員石段に出てくる。「ご厚意あれば拍手をどうぞ そしたらパックはお礼を言うぞ」はオーベロン(テーセウス)の台詞に変わっている。このとき、オーベロン(テーセウス)とティターニア(ヒポリュテ)の衣装だけ冒頭と同じものに戻っている。「ご厚意あれば拍手はどうぞ」で拍手が起きるが、それを上回る声量と響き方の「そしたらパックは」の台詞回しがすごかった。

 

演出

・パック役は登場するとき(台本部分前)には車椅子に乗っている。その後、台本中で最初に登場する際にも車椅子で入ってくる。どうやら脚が動かないらしいが、亡霊に立たされ舞わされるうちに走ったり跳んだりできるようになる。最後の口上の間に再び崩れ落ち立てなくなるが、ここでは脚どころか全身で力尽きているように見える。テーセウスの台詞(パックの口上がテーセウスに変わったところ、上述)の後、石段からライサンダーが降りてきて小上がり舞台の上で力尽きているパックを起こし、パックはボトムが抱えて退場する。退場の際、パック・ライサンダー・ボトムの3人だけが鳥居をくぐる。

ライサンダーの左手首には包帯が巻いてある。ネット記事によれば「心の傷を表現するための包帯」らしい。演者たちは「ランチパック」と呼んでいた(中身はピーナッツバターらしい)。

こちらの記事の画像キャプション参照↓

www.edgeline-tokyo.com

・ところどころで現代の環境音が聞こえる。現代日本の街中の雑踏とかガラケーだかスマホだかの着信音とか車の行き交う音とか踏切の音とか聴き覚えのある目覚ましの音(iPhone)とかが入り混じっているが、最後に演者がはけていくときは何やら音声(たぶん英語)も聞こえてくる(何を言っているかは聞き取れなかったが、これに言及しているブログもたぶんある)。

・劇中劇シーンでは客電が明るくなり、観客にテーセウスが拍手を求めたりする。(最初の方の公演は客電をつけていなかったが途中で変更になったようだ)

・職人たちの劇中劇では、ピュモラスは馬鹿殿を彷彿とさせる衣装、ティスベは女方、ライオンは(歌舞伎の)獅子のような何か、壁は壁、月は月に住む男になる。附け打ちもいる。歌舞伎の要素を軸としたアドリブ満載のハチャメチャ劇だが、ティスベ(フランシス・フルート)役がとにかく圧倒的だった。シェイクスピアの時代には女優がいないため声変わり前の少年が女役をしていたという事情があり、夏の夜の夢の職人の劇中劇では「素人が寄り集まってできた劇団のため少年がおらず、どこからどうみても成人の男が無理やり女を演じる」というところで素人感と無理やり感が演出されている。しかし日生劇場の夏の夜の夢ではここに林佑樹が起用されており、圧倒的な女方の所作で暴れ倒すという凄まじい構図になっていた。ピーター・クインスの冒頭の口上は訳本通り素人の喋りだが、登場人物(職人)が登場した後の紹介は達人のそれになる。

・若者4人の森のシーンでライサンダーがハーミアを罵る台詞が日替わりになっていた。我々はそれを罵倒ガチャと呼んでいた。

・恋の三色菫は扇子で表現される。オーベロンが三色菫を使う場面では歌舞伎の要素が強く出る。

・森でヘレナとディミートリアスが言い合いするシーンでは、聞いているオーベロンが「そうそう」という顔をしたり、ヘレナを罵るディミートリアスに「なんなんだお前は!」と説教したりする(妖精は人間には見えないのでここでは声は聞こえない)。

 

その他

・台詞はほぼ訳本(新訳 夏の夜の夢(角川文庫))そのままで、パックの台詞は若干少なくなっていた。また、現代日本ではピンと来る人が少ないであろう箇所(話の進行上はなくても問題ない)は削られていた。あとはところどころにアドリブが入る。

・演者個別のマイクはなかった。ステージのすぐ下にスタンドが立っており、舞台のへりに何本かマイクらしきものが設置されていた(他にもあったかもしれないが客席からわかったのはそれくらい)。

 

自担について

・外部舞台初経験。外部の演出家にがっつり指導されるのもたぶん初めて。稽古開始より前から演出家の先生に教えてもらっていたらしい。ちなみに私は少年たちは見れていない(見てたら夏の夜の夢の彼と比較できたのに…)。

・第一声を聞いてひっくり返った。こちらの期待値を上回ってきたというか、想定を完全に裏切ってきた。「こんな感じの演技をするだろう」と事前に想像していたわけではないので、「期待値」も「想定」も適切な表現ではない(期待値は設定していなかったし何かを想定していたわけでもないから)のだが、これ以外に言葉が見つからない。とにかく初手から全く知らない姿を見せられたので、とんでもなくびっくりした。劇場の外の自担とは別人だったし、舞台が終わって以降劇場の外で劇場内の彼を見たことはない。(※千秋楽後のSixTONESANNで同じく舞台を終えたメンバーと舞台発声で喋っていたが、そのときは体感5割ほど劇場の自担だった)

シェイクスピア作品のメインキャラクターは全員そうだが、自担の台詞量も例に漏れず多い。公演数も結構あったが、最後まで一切声が枯れなかった。

・「自分や他の人の台詞が飛んだり何かを間違えたりしたらどうリカバリーするか」を練習していたらしい(SixTONESオールナイトニッポンサタデースペシャルより)。確かにあの台詞量であれだけの公演数があれば、おそらく必ず誰かが何かを間違える。自担に関しては、ディミートリアスとヘレナを取り合う場面で、一度「君はハーミアを愛してる!お互い知ってることじゃないか!俺はハーミアを愛してる!」と言ってしまい、「………は?俺は何を言ってんだ?」と乗り切ったらしい(私は見れていない)。私が入った回では一回だけボトムの台詞が混乱していたが、事前に訳本を読み込んだ上に複数回観た人でなければわからないくらいスムーズに話が進んでいった。

・千秋楽後のブログで「この作品がターニングポイントになると思う」と明言していた。また、舞台期間あたりの複数の雑誌で「近いうちにまた舞台に立ちたい」と言っていた。

・暖簾は入所当時からお世話になっている知念侑李くんにお願いしたもの。ラジオ(SixTONESオールナイトニッポンサタデースペシャル)で「この暖簾がボロボロになるくらい舞台に出たい」と言っていた。

 

うわ言

以下公演期間中のうわ言のようなメモ書き(たぶん読んでも意味がわかりません)

 

・舞台を日本に移して=モチーフを日本の祭事にした(日本モチーフを使った)+それ以前にこの公演を神に捧げるための祈りの芝居として日生劇場で上演した(=舞台は現実の日本そのもの、「日本に移した」とは「日生劇場に移した」ということ)? 劇中では明言されないが、この上演が劇中劇として作られていることはパンフレットにも書いてある。

・「舞台を日本に移した」というのは、単に「歌舞伎の要素を取り入れ、日本の風景をモチーフにした」ということだけではなく、たぶん、「『日本の祭事でよく見られる神に捧げる芝居』として夏の夜の夢を上演した」ということだろう(だから登場人物の名前はシェイクスピアが書いた通りになっている、と制作側から言及がある)。あるいは、この芝居の舞台は今現在我々が住んでいる日本そのもの、言ってしまえば「舞台を日生劇場に移した」ということかもしれない。現代における夏の夜の夢は劇中劇として演じられることが多いらしい。我々観客は劇中劇の観客として劇中に組み込まれていた構図。シェイクスピア時代の夏の夜の夢も劇中劇(職人の劇は劇中劇中劇)だが、こちらはメタシアター的な意味の劇中劇。このメタシアターの構造を考慮すると、日生劇場の夏の夜の夢は劇中劇中劇くらいになるかもしれない(職人の劇は劇中劇中劇中劇)。

・演者たちは最初「神の依代」としての衣装を着ており、出てきてそのまま一列に並んで深々お辞儀する。これは観客へのあいさつとも取れるが、歌舞伎「翁」の冒頭、演者が神を模すことへの畏敬の念を示すのと同じにも見える(パンフには「客は神」のようなことも書いてある)。

・夏の夜の夢はロミオとジュリエットと同時期の作品で、イギリスではちょうど黒死病が蔓延しており、21世紀のコロナ禍と同じ状況にあったことは、かなり重要な要素としてパンフレットや事前講座で繰り返されていた。

・事前講座で「遠野物語」というキーワードが出てきていたが、これは遠野物語の中の特定の話ではなく、「人と人ならざるもの、生と死、人と神などの境界が曖昧な世界」ということだろう(シェイクスピアの根底にあるギリシャ神話も人と人ならざるものの境界が曖昧)。

・物語上なくてもいい「テーセウスがテーセウスであることを示す台詞」はなくなってる?9/13では少なくともティターニアの台詞からテーセウスと関係のあった4人の女性は消えていた。

・芝居に入ると姿が変わるのはテーセウス(オーベロン)・ヒポリュテ(ティターニア)・パック テーセウスとヒポリュテは動くのもままならない老体から健康体になり、パックは軽々動けるようになる→信仰を必要とする存在?(この芝居は奉納のための芝居なので、奉納の間は元気に動ける) 逆に芝居に入っても姿が変わらないのはライサンダー 最後に鳥居を通るのはテーセウス・ヒポリュテ・パック・ライサンダー・ボトム パックの衣装が蓑っぽいのも気になるんだよな〜

・現代環境音は①冒頭(喧騒)、②パック登場シーン(ヘリコプター)、③職人たちとボトムが落ち合うシーン(交通量の多い通り)、④ラスト(紛争ぽい?英語アナウンスが聞き取れない)

・誰が人か人ならざるものなのか、どこまでが夢でどこが現なのか、何が虚構で何が現実かわからなくなる演劇だった 新プラトン主義の「全ての矛盾は極大で解消される」という考え方に通じるかもしれない

ライサンダーのヘレナへの惚れ方がかなり変態的で気色悪い。ヘレナが激怒するのも無理はない。

 

ふせったー

公演期間中にネタバレ防止でふせったーに書いたもの(本当に意味不明です)

 

・夏の夜の夢、若者4人が寝てるときのゆうごの肩〜腰〜尻のラインが薄くて骨っぽくて興奮してしまい申し訳ありませんでした

・フィロストレートはパックのメイクをしたままだし、パックのメイクがわかりやすい(鼻筋に白)のは絶対意図的だしな…

・今日劇場出るとき前にいたお姉さんがゆうごの包帯マジの怪我だと思ってて「違うんですよぉおおおお」って叫びそうになった(がまんした)

・おれたちはライサンダーの左腕にある包帯を忘れてはいけない

・今日見つけた亡霊さんのカワイイ 職人たちが森に来たとき仲間の1人を見つけられなくて探してるとき、その様子を見てた亡霊さんも座布団をめくって探している ティターニアのとるリズムでボトムが歌い終わると亡霊さんたちは拍手をしている

・ハーミア、ライサンダーに突き飛ばされたとき地面にペショとなっててかわいかったですね

・台詞、シェイクスピアの書いた内容からとりあえず「(なくても物語の筋には影響しない)テーセウスがギリシャ神話のテーセウスであることを示すための台詞」が抜けてるっぽいんだよな あとそれ以外にもローマ・ギリシャ神話の知識が必要とされるところは抜けてる気がする ライサンダーの「月の女神フィービーが」の節が抜けてたと思うんだよな(ここはうろ覚え) あと当時の社会常識と現代の常識であまりにはなれてるところ?

・ティターニアの台詞が結構落ちてるんだよな~彼女は神話の世界の常識で話をするからだろうか あと子役の台詞も割と落ちてる

・夏の夜の夢、本を読んでるときでもいい加減そうなんだけど、実際舞台で見てみるとマジでワケわからんものがどんどん出てきてマジモンの夢感がすごい 河合隼雄先生も「シェイクスピアは夢というものをよくわかっている」と言っていました マジでしょうもないものとワケわかんないものが脈絡なく(でも必然性を持って)出てくる

・亡霊さんたちの存在によって、「日本(それも日本的な世界観が色濃く残った日本)」がずっと物語の根底に通るようになってる気がする まあ見た目(明らかに黒子)もそうなんだけど、ああやって特に何もしないがそこに”””””在る”””””人ならざるものみたいな それこそ河合先生とかが言う遠野物語とかはああいう存在が人の近くに普通に存在してる世界よな たぶんイギリスにもそういうのはあるんだろうけど 見た目が黒子であることによって観客の大部分を占める日本人の感覚に訴えてるというか…

日生劇場夏の夜の夢、割と常に違和感が仕込まれてるんだよな それこそ亡霊さんはほぼほぼはけずにそこにいるけど、あの世界観で亡霊さんたちは僅かな違和感になるし ライサンダーの包帯も違和感だし 劇中唐突に出てくる車椅子もそうだし

・今日見たかわいい亡霊さんたち ライサンダーとハーミアが「もっと離れて!もっと!そうそこ!」やってる間2人をめちゃくちゃ見てる ハーミアが「離れて!」言ってライサンダーがちょっと離れたところに座る→2人してヴ〜〜〜〜〜〜言うときに亡霊さんも一緒に首を振っている ライサンダーがもう少し離れたところに座ったらハーミアに「惜しい!」と言われると亡霊さんもライサンダーと一緒に「えー!」の顔をしている(多分) ハーミアがそう!そこ!そこでいい!言ったとき亡霊さんも頷いている ディミートリアスがヘレナの顎を後ろから掴むときオーベロンは顔を背けている 亡霊さんも一緒に顔を背けている

・生駒ちゃんの操り人形ですってぇーーーーーーーーーー!!?!?!!!?!? 好きすぎる

ライサンダーが礼賛だー!でハーミアの膝に寝転がろうとしたらハーミアに逃げられてコケたとき、後ろの亡霊さんも一緒にコケててかわいかった

・ボトムの歌でティターニアが起きちゃうとき、亡霊さんみんな「アワワワヮ…」みたいな感じで逃げてちっちゃくなってた かわいい

 

自担 今年も舞台に出る

www.shochiku.co.jp

2022年9月に夏の夜の夢が終わってから、いくつかの媒体で「あまり間をあけずに舞台に立ちたい」と言っていた自担、2023年3月に次の舞台出演が情報解禁されてオタクはひっくり返りました。次はお月さまへようこその中の2作品と星の王子さまが題材になっているらしい。

なんだか特殊な舞台らしく、情報が出るたびに謎が深まっており、これを書いている時点で初日まで1か月切ってるのにどんな作品か一切想像がついていない。