ショータイム

狂喜乱舞するブログ

自担じゃない人

初めて見たのはたぶん小学生の頃読んでいた「ちゃお」の特集ページでだと思う。

いつ買ったやつだったかも覚えてないし、そこにいた6人組がKAT-TUNだったかどうかも定かではないけど、多分そうだった気がする。今思えば上田竜也であろう人が載っていたような記憶がうっすらあるからだ。当時の私はかわいい顔の男が大好きで、そのアンテナに引っかかって印象に残ったのだと思う。ただ、当時ジャニーズとは何なのか全く知らなかったし、そもそも三次元に興味がなかったので、結局彼らの顔も名前もほとんど記憶に残らなかった。

 

その後私がKAT-TUNに再び触れたのは、20代も半ばになって突然ジャニーズに落ちてからだった。それ以前はジャニーズに全く興味がなかったので、「ジャニーズにはKAT-TUNというグループがある」ことくらいしか知らなかった(厳密に言うと、ジャニーズのことなど普段は微塵も頭の中になかったので、自分がKAT-TUNのことを知っていたかどうかもあやふやだが、なぜかKAT-TUNの人数が減ったことは知っていたので、つまり恐らくKAT-TUNというグループがあることは知っていたということだろう)(ちなみに何人から何人に減ったかは知らなかった)。

ジャニーズに落ちた後、ジャニーズ内を少しフラフラした後SixTONESに落ち着いたのだが、SixTONESに落ちながらもおそらくKAT-TUNの何かしらには触れていたと思う(正直よく覚えていない)。ツイートを漁ったところ、「KAT-TUNなら中丸雄一が好き」とは言っていた。あとどうやらリラックマ出の中丸担になりかけていたらしい。

 

こうして自分のツイートを漁らなければならないくらい、どうやってKAT-TUNのコンテンツに触れるようになったのか、ほとんど全く記憶にない。しかしじっくり時間をかけて、いつどこからか全く記憶にないうちに、KAT-TUN、中丸雄一が私の背後に立っていた。

 

深夜帯の家事ヤロウを見た記憶がある。たぶん「へえ中丸さんが家事番組やってるのかあ」と軽い気持ちで録画して見たのだと思う。確か初めて見たのは突っ張り棒の回だった。その直後は毎週家事ヤロウを見るようにはならなかったけど、少し経ったら(ゴールデン進出よりだいぶ前に)毎週録画して見るようになった。今ではバリューの真実と30分被っているので毎週フルでリアタイはしないけど、バリューの真実が終わったら家事ヤロウに変えるし、バリューの真実が再放送の日は最初から家事ヤロウを見ている。

シューイチはいつ見始めたのか全くわからない。気付いたら2週に一度くらい録画するようになっていた。私は将来見返したら面白いだろうな〜と思って報道番組もたまに録画に残すタイプです。旅サラダはごめん見てない。多分これも知らないうちに見るようになると思う。何するカトゥーンは今のところ全て録画している。食宝はごめんなさい見てない。paraviにあるタメ旅は全部見た(例のごとくいつ何がきっかけで見たのかは全く覚えていない)。

ジャにのチャンネルは溜めに溜めている。これには言い訳があります聞いてください。一本見るたびに悶え死んでしまうので時間と体力があるときにしか見れないんです。YouTubeのゆるめチャンネルという環境における中丸雄一の殺傷力すごい。

KAT-TUNのFCには入っている。ハニコンは2回行った(最高だった)。楽しい時間にはまだ行ったことはない(配信は見たし次開催されたら絶対行く)。リリースがあるたび全形態1枚ずつ買う。雑誌は逐一追ったりはしないが、買った雑誌に載っていれば捨てない。

 

自担に比べれば、ものすごくゆるい追い方をしている。ただ、自担をこのくらいで推してるオタクもたくさんいると思うし、私も諸々の事情や自分のテンションによっては自担もこのくらいの(もしくはもっとゆるい)推し方をするだろうなと思う。でも中丸さんは私の自担じゃない。

 

実際に顔を突き合わせて直接関わる人ならまた別の話だけど、私の「一番好きな男」は中丸雄一だと思う。顔が一番好きとかスタイルが一番好きとかアイドルとして人としての姿勢が一番好きとかいうことではなく、総合的に「一番好きな男」が中丸雄一。自担じゃなくて(マジごめん)中丸雄一。なんかもう全く抗えない。気がついたら体が平伏している。そりゃあ人間が相手なんだから好きじゃないところもあるけど、私に対する攻撃力が強すぎる。

ジャニーズの中なら中丸雄一の骨が一番好きだし、中丸雄一が放つ圧倒的な圧が大好物だし、創造力の高さと筋が通ったコンセプトを作り上げる基礎力の高さを勝手に感じて興奮するし、全力でトンチキを打ち出したかと思えば温度感ゼロの何とも思っていないような顔でシビアなメタ的視点を流してくるし(こういう人間が本当に大好き)、何をしても飄々とした違和感が後ろに見え隠れしているような気がする(こういう人間が本当に大好き)。

何か考える前に中丸さんの圧で押し潰された人間から見る中丸さんなので、他の人から見ればなんかちょっと違うんだよなとなるかもしれないが、まあアイドルってそういうものだし良いだろう。あまりにも私が好きな人間すぎる。無条件で降伏してしまう。でも中丸さんは私の自担じゃない。

 

自担とそうじゃない人の境界はどこにあるのだろうか。私が中丸さんのことを自担よりゆるく追っているのは、シンプルに回せるリソースが足りないからという理由が大きい。じゃあもし私の収入が今の10倍で、有り余る時間の余裕があって、いつでも元気いっぱいで、中丸さんのことを自担と同じレベルで追えたら、中丸さんは自担になるのだろうか。そういう状況はほぼあり得ないので何とも言えないが、多分だからといって自担にはならないと思う。

出会う順番が違えば中丸担になっていたかもしれないと思ったことはある。でも別に自担は何人いてもいいはずで、中丸さん「も」自担になっても何ら問題はない。でも中丸さんは私の自担じゃない。明日自担になるかもしれないが、少なくとも今まで(ゆるくではあるが追ってるしものすごく好きなのに)中丸さんが自担になったことはない。

こうなると「自担ってなんだ」という話になってくるが、別に自担という存在の定義は人によって、更に言えば自担ごとに、なんなら毎秒違ってもいい。だから「自担である」とみなせば自担としていいはずだ。でも中丸さんは私の自担じゃないし、私は中丸担ではない。

なんだかよくわからなくなってきた。(私にとっての)中丸雄一って誰ですか?

 

私は自担のことを「視座」と位置づけている。正直視座なんてどこでもいいんだけど、自担を視座としたときが一番楽しいし視線が安定するので、自担を視座としている(視座を自担としているという言い方もできる。正直今となってはどちらが先かわからない)。でも中丸さんのことは自担という視座からは見ていない。そして中丸さんは私の視座ではない。なんだかよくわからないがそこにいる。なんだかよくわからないが気がついたら背後に立っていた。よくわからないうちに私は中丸さんに滅多刺しにされている。でも中丸さんは私の自担じゃない。

 

中丸さんが私の自担じゃなくても誰も困らないし私も困らないのだが、たまに中丸さんを私の中で位置づけるとなんて呼び方になるんだろう?と考えて困る。自担ではない、推しという呼び方もちょっと違う(特に推しているわけではなく抗いようのない力に押し潰されているだけだから)、好きなアイドル?というのも少し違う。結局「中丸さん」以外の呼び方が思いつかない。私のオタク人生における特異点が知らないうちに、なんだかよくわからないがそこにいた(中丸雄一って「気付いたらそこにいる」タイプのアイドルだと思う)。

 

どうしていきなりこんなことを言い出したのかというと、先日のJGRスプラトゥーン生配信で事前予告なしに中丸さんが参戦して、マジでダメになりそうになったためである。先ほど時間と体力が足りないからジャにのちゃんねるを溜めていると書いたのだが、本当は本能的に避けていたからなのかもしれない。否応なしに見せられてしまったYouTube環境下の中丸雄一は本当にやばかったし、本当にダメにされるかと思った(ダメにされたかもしれない)。そろそろ堪忍してYouTubeの中丸雄一を浴びまくり、無事にダメになるべき時期が来ているのかもしれない。ひとしきりダメになった後、私は中丸さんは私の自担になっているかもしれないし、それでも私の自担じゃないかもしれない。

 

JGRスプラトゥーン生配信↓

www.youtube.com

 

 

「中丸さんが追い詰められて落ちたとき静かに『潰す』って言ってる」とのツイートを見かけて確認したところマジで言ってて死ぬかと思った。(18:34)