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狂喜乱舞するブログ

自担って何だ

私はアイドル文化の外から来た人間である。

 

まあそう言ってしまうと、ドルオタはみな最初は外から来た人間ではあるけども、ここでは「他界隈を長年渡り歩いていた人間が急にドルオタ界隈に放り込まれてしまってまだ日が浅い」くらいの意味合いでいきたいと思う。

 

他界隈を長年渡り歩いていた人間が急にドルオタ界隈に放り込まれた経緯はこちら↓

coldginger.hatenablog.com

 

このブログを書いているちょうど1年くらい前、唐突にKinKi Kidsに出会い、その後すぐにSixTONESに落ちた。それ以前は「アイドルといえば男性ならジャニーズ(ジャニーズに誰がいるのかはほとんど知らない)、女性アイドルはなんかすごい人数のグループがあるらしい」程度の認識だった。まあ要するに興味が皆無だし、アイドル文化なんて微塵も知らない。二次元界隈には長年頭までがっつり浸かっていたけど、アイドルコンテンツには一切手を出さなかった。

 

そういう、アイドルに全く馴染みのない人間が急にドルオタ界隈に(何らかの力によって)放り込まれて、一番戸惑ったのが自担という文化である。

 

一番最初に出くわした自担の壁(壁?)は、KinKi Kidsのファンクラブに入会する際の「好きなアーティスト」欄。(キンキに出会って確か1ヶ月以内に入会している。)「なんで『2人』とか『KinKi Kids』とかって選択肢がないの!?」と混乱した。私はKinKi Kidsが好きでKinKi Kidsのファンクラブに入会しようとしているのに、更に好きなアーティストを選ばせるとはこれいかに???KinKi Kidsに決まってんだろ。

グループの中の特定の誰かを特に推す、担ぐという発想がなかったのだ。ファンクラブ入会以前も、キンキ担のお姉様方を何人かフォローはしていたけど、私が観測した範囲においては、キンキ界隈はそもそも自担という概念が比較的薄い。2人が2人の空気感で一緒にいるのを遠巻きに見るのが好きな人か、アンリーかに二極化している気がする(マジ私感)。そんなだから、「好きなグループ内の特に誰かの」担当になるという状態が全く想像できなかった。言うなら、箱推し(誰にも寄っていない)以外の状態がわからない、といった感じだろうか。

まあその場は「堂本剛」を選択して乗り切った。KinKi Kidsを見つけたきっかけが剛くんのファンクだったからである。

(まあアイドルじゃないアーティストのファンクラブでも、誰か1人を選ばせるものもあるかもしれないけど、いかんせん私がファンクラブに入ったのはキンキが初めてだった。)

 

その後ジャニーズ沼の広さと深さを察して、様々なジャニオタ界隈を覗くうちに、担当制度というものを「こういうものなんだ」となんとなく認識することはできた(まだピンと来てはいない)。それと同時に察したことがある。

私、箱推ししかできない人種なんじゃね?

今のところ嫌いなジャニーズタレントはいない。よく知らない人はいるけど、誰にでもある程度以上のファンがついている以上、絶対に何らかの魅力はあるのだろう。ある程度以上知っているタレントに関しては、全員についてある程度以上の好感を持っている。

しかし、「好き」と「推せる」「担げる」は別の話である。便宜上「推せる」「担げる」を「好き」と表現することが多い。しかし、別に推したり担いだりしてなくても好きなものは好きだし、逆に、好きであっても推したり担いだりできるとは限らない。

更に、推したり担いだりできるかという基準が、私の中ではどうやら「グループ自体を好きになれるか」というところにあるらしい。今のところJr.含めて嫌いなグループはない。しかしこのグループを好きになるという条件が、

・メンバー全員個人としてかなり好き

・メンバーの関係性が好き

・グループのコンセプトと方向性が好き

・組織として信頼できる

・パフォーマンスが好き

・音源が心地よい

・曲が好み

などなど、ザッと挙げただけでも大分多くてハードルが高く、総じて「グループそのものとグループがやっていることが好きになれる」というところに帰結する。私は恐らくグループへの入り口を箱に見出す人間である。そのグループを発見するきっかけは個人であることも多いけど、実際に落ちるきっかけは箱になる。

そういう性質を持った人間は、KinKi Kidsの次にSixTONESに落ちた。

そこで再び担当制度の壁である。SixTONES界隈は比較的箱推しが多い気がする。しかし私の観測範囲に限れば、KinKi Kidsに比較するとやはり担当文化の色が濃い。「誰寄り箱推し」「誰担箱推し」を名乗り、箱で推した上で個人の担当がいる方が多い印象である。

SixTONESに落ちて少し経ったくらいに、結構前に作って放置していたツイッターアカウントをジャニーズ用に改装した。SixTONES界隈の方々との交流の始まりである。当然「自担は誰ですか?」と質問されることも多い。

しかし私は未だに担当制度がピンと来ていない。正直に「外から来たばっかりなもので、担当制度がよくわかっておりません 現状箱です」と答えていた。

というか今でもよくわかっていない。担当制度ってなんだろう。自担って何だ?

 

ジャニオタ界隈では、自担というものは結構当たり前の概念というか、「日本人ならだいたいみんな文字が読める」みたいな認識なのかなと思うことがある。普段全く意識はしないけど、日本において出会う人はだいたい文字が読める、と恐らくほとんどの人が無意識に思っているだろう。なんていうかそういう扱いなのかな、みたいな。私は文字が読めない側の人間である。ジャニオタ界隈で、だいたいのオタクは自担を持つという認識を、だいたいのジャニオタが無意識に持っている。私はピンと来ないまま、自担って何だ?と考えている。

そんな状態で何ヶ月も自担を定めずにフラフラしていたのだが、様々な方の自担への扱いや様々な方がとっているアンケートを見ると、一口に自担と言っても、自担として決める理由は人によって千差万別である、ということがわかってきた。様々な方が様々な理由で様々なタレントを自担にしている。すごい文化だ。

ジャニオタ界隈に身を置く以上、自担は定めておいた方が何かと便利である。ペンライトは自担の色にしておくのがスタンダードだし。とりあえず私は自分を髙地担として定めた。

 

別にSixTONESの中で髙地さんが一番好きだというわけではない。6人全員別ベクトルで好きだし、互いに比較対象ではない。

しかし髙地優吾越しに見るSixTONESがとんでもなくかわいいことに気が付いてしまった(これは割と多数の方から賛同を得られるのではないかという自信がある)。かわいいし、なんか活きが良いし、自然体に近そうで、程よく力が抜けてる感じ。そして髙地優吾の安心の安定感とフラットな立ち振る舞い。グループ全体を見る際の視点として、最高に心地良いメンバーである。視点が安定していると全体が見やすい。

私は自担を決める前から髙地担として認識されている節があった。恐らく髙地さんを中心としてSixTONESについて喋ることが多かったからだと思う。まあかわいいんだから仕方ない。というか、周りの方々に髙地担と認識されてそうだから髙地担を名乗ろうと思ったという面もちょっとある。(あと自分が髙地さんと同い年だからというのもちょっとある。)

 

そんなこんなで私は自担を決めたわけだが、こういう担ぎ方をする方も結構いらっしゃるのだろうか。決めたはいいが、私はまだ自担というものが何なのかはよくわかっていない。自分だけの定義で、自担とは、を決めても良いのだろうとも思うけど、できればオタクの方々1人1人に聞いてまわりたい。あなたの自担は誰ですか?自担である理由はなんですか?自担に決めた経緯を教えてください。あなたにとって自担とは?あなたの中の自担の定義は?アンケートとろうかな。そのときにはよろしければご協力ください。

 

何年か経ってもドルオタをしているかどうかはわからないけど、とりあえず今はドルオタでいる気でいる。そのときには私の自担の決め方も変わっているかもしれないし、恐らく今と変わらず、自担って何だ?とぼんやり考え続けている気もする。